LOBØS LOGOS 〜 adlibler’s diary

変幻自在、自由自在に。横浜市で活動している、ロボスフットボールクラブのオフィシャルブログです。

部活問題を考える 〜 うちだっちょ、イノッチ

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昨今、問題になっている日大アメフト部の件。

あのタックルが監督やコーチからの直接指示によるものだったのかどうか、そこばかりにほぼ焦点が当てられているけれど、タックルをしてしまったあの選手が会見で勇気を持って話した、あの日に至るまでの数日間で行われた指導陣による彼への「追い込み」について、厳しく糾弾するメディア報道をあまり見かけないのは何故なんだろう。

練習から外され、代表に行くのを禁止され、初心者の1年生達の前で練習台となり、タックルを受けるダミーを持ったら、コーチから「何で持つんだ」と言われて1年生達の前でグランドを10周させられる。
丸坊主を強要され、挙げ句の果てには「関学のQBを潰してくるので試合に出して下さいと自分で監督に言え」と、あえて自分で言わせるように仕向ける用意周到さ。
さらに試合当日、最初はスタメンから外しておいて、改めて「自分で言え」と言わせる姑息ぶり。

もちろんこれはもう指導でも何でもなく、スポーツでもなく、部活の範疇をとうに超えている。パワハラどころかほぼイジメ、そして人権侵害レベルの横暴さだ。

ましてやあの内田監督という人は日本大学で常務理事を務め、大学No.2の位置にいる。さらには34あるという体育系部活の予算の取り計らいを仕切る、保健体育審議会のトップにいると。

そんな権力を持った人物が「監督」をやってるミスマッチ。だから誰も意見や文句も言えない。コーチは腰巾着となり、忖度を繰り返し、理不尽な指導や言動がまかり通り、選手はほぼ服従してしまう。

何もこれは日大だけじゃなく、全国の「部活」では結構ざらに見られる、悪しき仕組みですよ。高校でも中学でも。

その原因の大部分は、間違いなく「教員」という存在です。

もちろん、僕には仲良くしてもらっている教員の方々もたくさんいるし、尊敬している方もいる。権力を振りかざす指導なんて、絶対にしない人の方が多いです。

例えば広島の畑先生はボトムアップ指導の第一人者。決断を選手に委ねて自主性を育み、それと並行してしっかり競技力も上げている。
ボトムアップだけでなく、選手に強権を振るわずに、スポーツ本来の楽しさや喜びを感じさる指導をしている教員の方々も、もちろんたくさんいる。

でも、そういう先生に出会うのは「アタリ」なんですよ。ラッキー。
ましてや公立校ならば、アタリの先生に出会ったとしても、いや、あの先生がいるからあの学校に入りたいと思って入っても、あっさり異動していなくなってしまうという不運が起きる。

残念ながら、まだまだ「ハズレ」な先生の方が多い。昔ながらの指導しかできない、ご自分の経験値だけでそれを押し付ける、スポーツに教育を持ち込み、学校生活(成績など)との取引材料として部活を使う…とか。自分の授業力不足を棚に上げて、その尻拭いは部活でやるとか、それだけでスポーツを指導する資格はないと思うんだけどな。

選手は逆らえない。試合に出たいから。部活を続けたいから。学校に居続けたいから。

なぜそうなるかといえば、生徒の成績、推薦、進路といった「泣きどころ」を握ることが出来る「教員」が、部活の指導に直接当たっているからでしょう。

生徒は教員を選べない。もう無理、と思っても「移籍」ができない。この日本、一度入った学校を辞めるというのは相当にハードルが高い。
部活を辞めても学校には残る。現実、どうしようもないクズな教員はたくさんいる。そんなハズレ教員に当たってしまったら、部活をやめた後もずっと、そいつに睨み続けられる。

学校でスポーツをやるというシステム自体に、もう無理があるんです。限界にきてる。

学校でやるのは、授業の体育で充分。課外活動である部活は廃止。いや、廃止は言い過ぎか。部活には当然、良い部分もたくさんあるしな…

ということで、今後も部活制度を残すのならば、せめて教員は指導から外れるべき。

指導者は全て外部から招き、現場の指導は全て任せる。教員はディレクターみたいな立場となって、全体を統括するだけに徹する。もしくは地域のスポーツクラブに周辺の数校の選手が集まり、それぞれやりたい種目をやるとか。うーん、そうなるともはや部活ではないか。
でも、本来ならばそれが一番健全だと思うな。

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そしてもう一つ。

監督、コーチ、先生、社長、総理!
とか
肩書きで人を呼ぶの、もういい加減やめませんか? ザ・日本人の悪しき習慣。

先生!とか監督!とかコーチ!とか総理!とか呼んじゃうから、勘違いが始まるんです。
社会に出たこともないような人物が学校で子どもたちに何かを教えるとか、どう考えてもおかしい。そりゃ勘違いするでしょう。
政治家もそう。なんであんな人たちを先生、って呼ぶ必要があるんだ。何であんな世間知らずのクズを、総理総理と崇める呼ぶ必要があるんだ。全くない。

日大アメフト部で、内田監督のことを選手たちが「ウチダさん!」とか「マサトさーん」とか「うっちー!」とか呼び合える関係性だったら、今回のような問題は絶対に起きてない。絶対に。それは間違いない。

コーチのことだって「イノウエさん!」とか「イノさん!」「イノッチ」て呼べてたら、きっと変わってた。コーチ陣から監督へも「ウチダさん」「オヤジ」とか言える関係性だったら良かったのに。

指導者が上、選手は下
先生が上、生徒は下
選手や生徒は大人が操作・管理するもの

といった「上意下達」の風習が、そもそもスポーツにはそぐわない。

お上には逆らえない、お上に従っておけばオーケー、というDNAがいつの頃から染みついたんだろう。
卑弥呼さまー」から始まり「お殿さまー」「天皇さまー」と続き、最後はあの大日本帝国へと引き継がれ、悲劇の結末へと続いた反省は、DNAレベルでは覆せないものなのかもしれないけれど

でも、そういうのをスポーツや学校の現場で変えていくことは、きっとできると思うんですよね。

指導者と選手は上下ではなく、フラットな関係性であるべき。どっちが偉いとかいうものでもない。お互いにお互いを補完し合い、同じチームを形成する仲間、くらいの感覚になっていかないといけないと思う。

僕は選手達から「コーチ」とか「監督」と呼ばれるのが嫌なので、結構前から、うちのロボス(旧・スエルテ横浜)の選手たちは僕のことを「くぼっち」と呼ぶ。
くぼっちもそろそろ飽きたので、最近、低学年の子たちには「くぼたさん、と呼んで」とお願いした。

ひと昔前まで都立国際高校女子サッカー部のコーチをしていた頃は、それこそアイツらは色んな呼び方で僕のことを呼んでくれてました。
「くぼたさん」「くぼっち」は当然として
「ぼくた」(なぜひっくり返す)「くぼってぃんぐ」(なぜ進行形…!)
「おっさん」(仕方ない…)
とか。

この高校では11年もコーチを続けたけれど、11年間、僕のことを「コーチ」と呼ぶ子はとうとう一人もいなかった。
自分としては、上から目線で接するともう誰も相手にしてくれなくなるので、特に後半期はもう完全に「下から目線」(俺命名)で彼女たちに接していた。
もちろんお互い最低限のリスペクトはあって、実に「いいかげん」(良い加減)の関係性で、一緒にサッカーをやれていたような気がしてる。

もちろん、綺麗ごとだけではない。ロボスも国際高も、僕のことを嫌って「無理」と思って辞めていった子だって間違いなくいる。その子達には、今でも申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

だから僕は今回の日大の件は決して他人事とは思えないし、全国の全ての指導者、そして教員の方々は、自分のことと捉えて考えるべき機会なのだと思う。
そんな自戒の意味も込めて、今回のコラムを書きました。

結論。
日大・内田監督は、選手たちに自分のことを「うちだっちょ」と呼ばせてれば良かったのだ。