LOBØS LOGOS 〜 adlibler’s diary

変幻自在、自由自在に。横浜市で活動している、ロボスフットボールクラブのオフィシャルブログです。

アイデアを否定する大人、アイデアに共感する大人

 

adlibler.hatenadiary.jp

 

先日U-11が実施した御殿場遠征で、ある選手がすね当てを忘れてきた。

すね当てがないと試合には出られない。これはルールだから仕方ない。

いや、厳密に言えば「すね当てがなければ出られない」ではなく

「すねをガードするものを入れなければ、試合には出られない」が正しい。

 

だから彼は考えたわけです。すね当ての代わりに、すねをガード出来るものであればいいんだろうと。

ポケットティッシュ、新聞紙、ダンボール … 僕らも一緒にいろいろ思案した結果、彼が選んだのは合宿の備品としてその場にあった「キッチンペーパー」でした。

 

これを何枚か重ね、折りたたんで適度な大きさにしてソックスの中に入れれば、いかにも程よい弾力の「すね当て」が出来上がる。

 

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これ

キッチンペーパー、なかなか良いアイデアでしょ?

だから僕も自分のSNSに「天才、これぞアドリブラー」って投稿したくらい。

 

 

今回のコラムはここからが本題なのだけれど

この僕の投稿に

「天才とかいう前に、注意しなきゃダメでしょ」とか

「これはちゃう」などと異議を唱えてきた人達が、実は一定数いました。

 

本当か?本当に、これは注意しなきゃダメなことなのか。

自分は、全くそうは思わない。

ルールブックにはこう書いてある。

「適切な材質でできていて、相応に保護でき、ソックスで覆われていなければならない」

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市販のすね当て、既製品でなければいけないなんて、ルールブックにはどこにも書いてない。

 

キッチンペーパー

・適切な材質か … 誰にも迷惑をかけず、破損もない。相手も傷つけない。

・相応に保護できるか … 厚みがあり弾力も担保されているので、衝撃を吸収できる。

 

この通り、キッチンペーパーでもすね当ての機能は充分に果たしていたし、ルールにも抵触しない。

だから別に既製品じゃなくても、キッチンペーパーでも新聞紙でもポケットティッシュでもダンボールでも、何でも構わないはずだろう。

 

とは言いつつ、このコラムを愛読して下さっている方ならば伝わるとは思うけど、自分が今回言いたいのは別にルールに則っているのだからいいだろうとか、そういうことじゃない。むしろ逆

 

本題はもっと奥にある。

「すね当て忘れた、じゃあどうしよう!」ってなった時に彼が頭をひねって考えた「キッチンペーパーで代用する」というアイデアを「既製品じゃないからダメ」「注意しろ」って頭ごなしに否定する大人でいるのか、それとも

「それ、めっちゃいいアイデアじゃないか」って共感してあげる大人でいるのか

 

子どものそばにいる大人として、あなたはどっちを選びますかってことだ。

 

もちろん自分は後者だが、この例に限らず「そんなのダメ」「決められたものじゃなければダメ」

「そんなの意味ない、無駄」などと、子どものアイデアや発想、提案を一蹴してしまう大人が、この日本にはいかに多いことか。

 

ジュニア年代の指導現場を見ても、そういう大人はとても多い。

学校現場でも、そんな教師は本当に多いよ。

 

サッカーでは「自分で判断しろ」「自分で考えろ」とか子どもに求めながらも、

「すね当てしないとダメ」「キッチンペーパーじゃダメ」「シャツ入れろ」「爪見せて」「ドリブルはダメ」「ドリ練なんて意味ない」「自主練なんて意味ない」「そんなの無駄」って言う指導者、たくさんいるじゃん。

 

子どもに対しては「考えろ」と言いつつ、自分は物事の本質を見れない。だから本当に大切なことは何かというスタンスに立って考えられないそんな大人が、子どもに対し「指導」してるわけです。

最大の矛盾だ。

 

みんなそうしてるだろ

みんなそんなことやってないだろ

みんなが、みんなは、みんなで …

そんなのお前だけだぞ

 

そう言って自分が楽をして、子どもの感性を閉じ込める。そんなサッカーコーチがサッカー教えてる。

そんな教師でも、毎日生徒と接してる。

最大のミスマッチだ。

 

日本という国が抱える根本の問題も、ここにある気がする。

皆と一緒じゃないといけない、皆と一緒にさせないと気が済まない、同調圧力という名のモンスター。

皆と一緒じゃないと、自尊心を保てない人達。

 

今回の御殿場遠征の会場は「パレットごてんば」という名称なのだが、その命名の由来が会場に掲げられていたので、最後に置いておきます。

 

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大人みんながこの視点に立てば、子どもの表情が変わる。

子どもは生き生きと輝くはずだ。

 

違いこそが魅力なんだという視点に立てない大人は、子どもに接するべきじゃない。

 

 

あ、でもキッチンペーパーにめっちゃ共感してくれた人も多かったことは、最後に付け加えておきますw