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横浜市で活動しているロボスフットボールクラブです。クラブのスローガンはSUSTAINABLE FOOTBALL。好きなサッカーを長い人生で、ずっと楽しんでもらえるように。横浜/保土ヶ谷/旭/戸塚

就任ではなく、復帰 〜 魅力あるコーチとは

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クラブのホームページやブログなどでも既に周知しているように、10月から、クラブ卒業生の早貴(6期生・大学3年)が、コーチとして帰ってきてくれてます。

 

『 帰ってきてくれた 』
そう、告知の文章にも「クラブに復帰してくれました」と書いたように、コーチに就任した、ではなく「クラブに帰ってきてくれた」と僕は思ってる。


就任ではなく、復帰。
もし彼女もそういう感覚でいてくれているのなら、とても嬉しいのだけど。


卒業生はクラブの宝。そして自分にとっても、一生の宝。
苦楽を共にしたくさんの時間を共有した卒業生達に僕は死ぬまで感謝し続けるし、一生、忘れずにい続ける。


誤解を恐れずに言えば、現役のクラブ所属選手達よりも、卒業生達は大事な存在だ。
最近でも、卒業生の悲しい事故があったと知った日は迷わず練習を中止にしてそこへ駆けつけた。僕にとってはごく当たり前の衝動であり、行動だった。


別に今所属している選手達が大事じゃないと言ってるわけではなく、その子達だって卒業していけばきっと一生忘れられない存在になっていくし、彼ら彼女らに何かがあった時は、僕はすぐに迷わず駆けつける。


何で?と言われてもうまく説明できないけれど、とにかく僕にとって、卒業生はとてもとっても、大事な存在。
結婚もしてない、自分の子供もいない僕にとっては、彼ら彼女らこそが自分の生きた証、そのものだからだろうか。


数々の卒業生がいるけれど、その中でも早貴は僕にとって特別な存在だった。


コーチとして(こう言われるのを彼女は嫌うけど)毎回来てくれるようになった今、幸い保護者の方々からの評判も良く、彼女について聞かれることもちょいちょい増えてきたので


新コーチの紹介がてら、彼女とのこれまでの関わりと「クラブ復帰」をお願いした理由や経緯を、この機会に書いておこうと思います。


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12年前、小学3年生の時に彼女はスエルテに入って来てくれた。
彼女の3コ下の弟が先にうちでサッカーをしていて、そのお迎えやら何やらでよく幼稚園に遊びに来ていて


当時の今井コーチや斎藤コーチが練習後とかに彼女とたくさん遊んでくれたことが良かったのか、そのうち彼女も「サッカーやる」となり、うちでサッカーを始めてくれた。
彼女のお父さんもサッカーしてた人だったから、その影響もあったのかな。


彼女と同い年の代の子達が、今でもクラブの枕詞にしている「アドリブラー」という言葉を僕に思いつかせてくれた子達。その言葉は、彼らのプレーを見ていて自然に思いついた。
このクラブの色を決定づけた子達でもあり、僕にサッカーの楽しさ、コーチという仕事の楽しさをもう一度思い出させてくれた、特別な子達でもある。


あらゆるプレーがこちらの想定を超え、試合に行くたび、それまで見たこともないようなことを平気で繰り出してこちらを驚かせ、ヒリヒリするような試合でも、最後は自分達の力で必ず勝ってくる。でも疲れたらあっさり負ける(笑)とか


そんな楽しすぎる学年の代に、彼女が入ってきた。


彼女はとにかく明るい。よく笑い、よく喋り、気づいたらまた笑ってる。その場にいる人を和やかにさせ、穏やかにさせる天才だった。それは今でも変わらない。


彼女が入ってきてくれたことで、周りの男たちがさらに変わり始めた。雰囲気がさらに良くなり、そして唯一の女子ということで当然精神年齢は一番高いから、彼女の存在でチームが良い感じに締まるようにもなり、楽しさと爆発力と魅力が、日に日に増していった。


僕らコーチ陣はほぼ何もしてない。あの子達が勝手にサッカーを楽しみ、自分達のサッカーをさらに発展させ、巧さと魅力をどんどん増やしていく年月が始まった。


練習はほぼミニゲーム
練習開始前、先に集まった子が1v1を始め、それが2v2になり、だんだんと人数が増えていって、練習開始時間の頃には、こちらから止めるのを躊躇するほど、真剣勝負のゲームになっている。そんな毎日。


そのままゲームをぶっ通しで続けてその日の練習が終わるなんてしょっちゅうだったし、そんな毎日の繰り返しの中で、あの子達は巧くなっていった。
大雨でも関係なくやってたからね。そしてそんな日常のゲームでも、負けたら泣くやつとかいっぱいいたし。


今思い出しても、サッカーに対して本当に純粋で、大好きで、その場にいること、ここに来ること自体が大好きな子達だった。今ではなかなか、そこまで純粋な子を見つけるのは難しいんだけど。

 

keikun028.hatenadiary.jp


ともかく
そこから卒業まで、楽し過ぎる数年間はあっという間に過ぎ
こいつらが卒業していくタイミングで俺も一緒にコーチを辞めて違う仕事でも始めようかなって、真剣に悩んだ時期もあったくらい。


あの子達は、1月の神奈川少年サッカー選手権を勝ち抜いて中央大会に進出した。でも早貴はブロック予選の決勝戦までは主力として出場したものの、登録の関係で中央大会には出場できなかった。これは、僕の中で今でも心残り。


早貴が卒業した後のために、私的ながら女子だけの活動場所もつくった。


少ないながら他の女子選手も参加して、スエルテを卒業した後も、早貴はそこでサッカーをし続けてくれて。
でも人数が少ないから試合もさせてあげられず、当時僕が指導していた国際高校女子サッカー部の練習試合に混ぜたり、練習にも参加させたり。


でもやっぱり本気で試合もさせてあげたいし、今のままでは申し訳ないという思いもあって、彼女が通う中学のサッカー部顧問の先生に彼女がどんな子か、例え男子の中でも彼女なら充分にやれるということを話して、何とか入れてくれないかとお願いもしに行った。


結果的にサッカー部に入ることができて、とうとう僕の手から離れていった。

 


その後、彼女は当時神奈川随一の強豪校である湘南学院高校の女子サッカー部でサッカーを続け、1年生からずっと主力として活躍する彼女の動向を、僕はいつもこっそり応援してた。


時には堂々と応援にも行ったけど、強豪校の一員として忙しそうに動く彼女を試合会場で見かけても声をかけるのは遠慮したり、声をかけたとしても当然ゆっくり話すことなんてできずに、少しだけの会話や挨拶だけで、いつも終わってた。


彼女が高2の夏、全国インターハイが東京で開催され、湘南学院も関東予選を勝ち抜き出場。優勝候補の十文字を破り、準決勝まで進出した。


その準決勝は、今でも忘れられない。


そのインターハイ中、僕は京都の親友、越智さんが率いる京都精華にほぼ帯同していて、初戦ではベンチにも入れさせてもらったり。


そんなわけで、湘南学院と京都精華の対決となったその準決勝。
当然早貴もスタメンで出場していたけれど、しかし当時の僕は京都精華とずっと行動を共にしていたし知ってる選手も精華の方が多いから、僕は精華に肩入れしながら試合を観つつも、もちろん早貴だけは、特別な思いで応援していた。


自分の大切な教え子が、全国の準決勝という晴れ舞台で、自分の親友のチームと対戦してるという数奇な巡り合わせ。幸せなのはもちろんのこと、複雑な思いでもあったことは間違いなく。


その準決勝は、2-0で京都精華の完勝。
早貴も頑張っていたけれど、勝利には一歩届かなかった。


試合後、彼女にメッセージを送ったら
「(精華は)スエルテみたいなプレースタイルで、少し懐かしいなって思いました!精華には(決勝も)頑張ってほしいです」
って返してくれて。


全国の舞台で戦い敗れた相手に、自分が昔プレーしたクラブのことを重ね合わせ「懐かしい」って思えて、それを言葉にして伝えられる。これだけで、彼女の人間性と魅力は充分にわかってもらえますよね。


こんなに嬉しいメッセージは、今までもらったことがない。
スマホの画面を見て、泣きそうになったことを今でも覚えてる。



それから一年が経ち、高3初夏のインターハイ予選で敗れたのを最後に、彼女はサッカー部を引退した。


その夏、久しぶりにスエルテの練習に来てくれて。
引退の報告と、そして
「バイトの初任給だよ」って、僕にTシャツをプレゼントしに来てくれました。

 


こんな、僕の教え子です。
その彼女が、自分が初めてサッカーをしたクラブに、この秋から帰ってきてくれました。


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卒業生達は、このクラブの色を一番知っている人達でもある。
だからもし新しいコーチを探すとしたら、次は卒業生にお願いしたいと、これは前から思っていた。


恥を正直に言うと、ここ数年ずっと苦しかったんです。
クラブを大きくしていくこととクラブの色を持続させることのギャップに戸惑い、焦り、一人で悩みながら、前進したと思えばすぐに後退し、恥もかき、人様に迷惑をかけたこともあった。


毎週、練習に行くのは仕事だから。楽しみ!という気持ちで行くことはだんだん減り、義務感で行くことが多くなっていた。もちろん毎回ではないけれど、そんな日が多くなっていたことは確かだ。もちろん勝手に自分でそう追い込んでいただけなので、単に拙い人間だということなのだけれど。
この感覚、クラブを立ち上げた当時もこんな感じだったなと、ここ数年は感じ始めてた。


スエルテを一人で立ち上げたのが、1999年の春。
それまでは東京のスポーツクラブでサッカーコーチとして働いていて、正直、そこで自分の色をつけ、評価もされ、自信もつけ、満を持して自分でクラブを立ち上げた。今となっては恥ずかしいけれど、自信満々だった。


そしてもちろん、その天狗の鼻はあっさり折られる。
教えよう教えよう、強くしなきゃ、人数集めなきゃ、という思いばかりが先行し、当然、それは全て僕の一方通行。当時の子達には、きっと負担で迷惑だっただろう。


教えても教えてもなかなか目に見えて成果は出ず、試合に行っても負けばかり。


すっかり自信を失っていた頃、当時まだ学生だった今井コーチ、斎藤コーチがアルバイトとして来てくれた。

それまで全て自分一人だけでやっていた練習も彼らに任せることが多くなり、自分に少しゆとりができて、客観的に子ども達を見れる時間ができたことは、今考えれば、本当に本当に大きかった。


今井コーチと斎藤コーチは、練習前や練習の合間、練習後も、とにかく子ども達とたくさん遊んでくれたんです。楽しそうに、でも真剣に。


そこで一緒に遊ぶ子ども達も、とても楽しそうな顔をしていて。今までに見たことのない光景がそれからは当たり前になり、ご想像通り、そこから子ども達はぐんぐん上手くなり、次第に、結果も出るようになっていた。


「サッカーはこんなに楽しくやっていいんだ、子ども達の発想を信じて任せれば、こんなことも出来るんだ」って思えたのも、自分の心にゆとりが出来ていたからこそ。


そんな転換期のほぼ最初の子達が、冒頭に紹介した早貴たちの代の子達でもあったんです。


あの頃の雰囲気を、もう一度取り戻したい。ずっとそう思ってた。


早貴は昨年の夏合宿にもお手伝いで来てくれたり、今年も何回も練習に来てくれたり、昨年に引き続きまた夏合宿にも来てくれて。
そこで彼女と子ども達が接している光景を見ているうちに、だんだんと僕の中で
「早貴は、ひょっとしたら最高のコーチなんじゃないか」という思いが芽生えてきた。


子ども達とひたすら遊んでくれて、真剣に遊んでくれる。
なおかつクラブの色を肌で分かっている人物としてこれは彼女にお願いするのが一番だと、夏の合宿を一緒に過ごしながら、それは確信に変わってた。


だから素直に、彼女に力を借りようと思いました。


笑いながら真剣にプレーして、心からサッカーを楽しんでるその姿を、子ども達に身をもって見せてほしい。
それだけでいいからと、夏休みが終わった頃に、僕から彼女に正式にお願いしたわけです。
快諾してくれた彼女には、本当に感謝しかない。


もう既に、成果は出始めてます。


彼女はいつも笑っていて、楽しそうにサッカーをしてくれる。上でも書いたように昔からその場にいる人達を穏やかにさせ和やかにさせる天才だから、子ども達もそこに引き込まれていく。彼女がいると、子ども達が自然に寄っていく。


気づいたら、僕も自然と笑うことが多くなってた。以前よりも心が穏やかでいられる自分に初めて気づいた時は、自分でも驚いた。
それでも彼女は、僕には「もっと笑顔でやれ」っていつも厳しいんだけど。


低学年に混ざってくれる時は、子ども達を引き立て明るく盛り上げ、良いお姉さんになってくれる。いろんな子を主役にしてくれる。


高学年に混ざってくれる時は、早い判断と的確なプレーとたまに見せるアドリブも相変わらずで「おまえらサッカーはこうやんだよ分かったかオラ」とばかりに、僕が見てて恐れおののくほど、バッチバチに真剣勝負を買って出てくれてる。でも、やっぱり楽しさと笑顔だけは忘れてない。


彼女に乗せられ引き出され、周りの子達のプレーも速くなり、強度も増す。
良い場所にいれば良いパスを出してくれるから、動き出しやポジショニングが良くなってきた子もチラホラ現れ始めてる。
確実に、レベルアップが始まってる。


でも何よりも

彼女がいるグランドは、雰囲気が穏やかになってる。これが一番。


僕も、彼女ともう一度同じグランドでサッカーができる日常が帰ってきて、毎日が嬉しい。
こういう日がまた来るとは、思ってもみなかったから。


今年はクラブ創設20年目。その節目の年に、クラブの色をもう一度蘇らせる救世主になってくれる気がしてます。

 

たまに早貴が来られない日があると

子ども達から「早貴ちゃん来ないの?」って、必ず聞かれる。

 

また最近、あるお母さんがこっそり教えてくれたこと
「うちの子、練習から帰ってくると、嬉しそうに早貴コーチの話ばかりするんですよ」


これを聞いた時、尊敬している岩谷さんに以前直接言われたことを思い出して、びっくりしたんです。
「僕はあのコーチのことが好きや、って子どもが家で話してくれるような、そんなコーチにならなあかん」
「魅力あるコーチとはそういうことや」って。


彼女はすでにそれを実践してしまった。
最高のコーチとしてクラブに復帰してくれた彼女のことを、皆さん引き続きよろしくお願いします。

 

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