LOBØS LOGOS 〜 adlibler’s diary

変幻自在、自由自在に。横浜市で活動している、ロボスフットボールクラブのオフィシャルブログです。

【JY】ボール拾いが振り返る2年間 〜 プレーモデルは選手が決める

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4月29日(みどりの日

U-14.U-13 vs リーベルプント、KAZU SC

横浜国立大学フットボール場)


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リーベルとの、激しい噛みつきマッチ。最高だった!
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2019年4月29日に行なったジュニアユースのトレーニングマッチ。


ジュニアユース立ち上げを決意し当時の「6年生達」に伝えた日から、平成最後の試合を終えたこの日まで、約2年。この間、本当にいろんなことがあった。

 

【 ① 体験練習を始めた2017年10月 】


ジュニアユース立ち上げに向け、体験練習を始めたのが2017年の秋。初回からの数回は他クラブからも結構な人数が参加して盛況だったこともあり、正直、最初は舐めてました。
この分なら、入団希望者はあっという間に20-30名くらい軽く超えるんちゃうかと。


しかし、入団希望のメールは一向に来ない。


よく考えれば当たり前ですよね。まだ何の実績もない、これから始まるクラブに好き好んで入ろうとする選手は、普通に考えればそうはいないでしょう。親御さんだって、息子の大事な3年間をそんなクラブに預けようとはなかなか思わないはず。セレクションもせず入りたい選手は全て受け入れるというスタンスだから、選択肢のうちの一番最後に回されるのであろうということも、数回の体験練習会を実施するうちに薄々感じ始めていた。

 


【 ② 最初の入団表明者 】


そんな中、まず一番最初に「入団します」と言ってくれたのが、今、このクラブでキャプテンを務めてくれている選手だった。


その子は僕のコーチ仲間のクラブ所属の選手。そのクラブにもジュニアユースがあるのに、彼にうちの練習会に参加することを薦めてくれたその恩義は、今でも決して忘れてません。きっとクラブ内でもいろんなことを言われたはずなのに。その勇気と優しさに、ただただ、感謝するばかり。


「ここでいい、ではなくて ここがいい、と思えたチームに入団することを決めることができ、本人もスッキリしています」
という、彼のお母さんからのメールは、今でも僕の宝物。

 


【 ③ クラブユース連盟への加盟申請 】


年が明けて2018年。2月には神奈川県クラブジュニアユース連盟加盟に向けてのヒアリングにも出席。
久しぶりにド緊張の中で何を話したかはあまり覚えていないけれど、真っ正面に座る理事長・中野さん(昔からお世話になってます)の存在に救われて、なんとか乗り切ったのでした。

 


【 ④ 活動スタート、苦悩の春〜夏 】


2018年春。3月末に滑り込みで入団してくれた子がいたり、そうかと思えば4月と5月にいきなり辞めてしまう子が3人もいたりと、不安定な始まりだった。正直に言えば、その辞めた3人のうち2人は、スエルテ(当時のクラブ名)からそのまま上がった子。


話は少し遡るけれど、ジュニアユース立ち上げを決意し宣言したのは、彼らが6年生になった時。この子達が中学になるタイミングでジュニアユースをつくり、そのまま3年間続けてほしいという思いで立ち上げを決意した、という経緯があった。


しかし蓋を開けてみれば、このままうちでやる、と言ってくれたのはたった2人。もちろんそれはそれまでの僕の指導に対する「答え」そのものだから、この結果には正直とても落ち込んだ。こちらのコミュニケーション不足もあったし、配慮不足もあったし、ただ単に、力不足ということでもあったのだろう。
数年ぶりに味わう、わかりやすい挫折だった。


そしてさらに、その2人さえあっという間に辞めてしまう。
1人は「やっぱり部活で」もう1人は「強豪クラブのセレクションに受かったので」という「LINE」での連絡のみ。


さすがにこれには落ち込んだ。辞められたこともショックだったけれど、本人から直接言われず「LINE」でだけという結末に、これまでの彼らとの数年間全てが否定されたような思いに駆られて、さらなる挫折感を味わう春となってしまった。


もちろんそんな事態を招いたのも、結局は自分がそれまでに蒔いてしまっていた様々な種に原因がある。だから落ち込む要素の大半は、ほぼ自己嫌悪の落ち込みだった。


さらに苦悩は続いていく。初年度ということもあり、僕も力が入りすぎていたのかもしれない。せっかく入ってくれた選手達をなんとか成長させたい、このクラブでやることの意味を、早く彼らに伝えたい、わかってほしい、自分のサッカー観を、直接早く伝えなければ…


そんな「必死になりすぎ」が、当然彼らにはネガティブな方向で伝わってしまうのは今考えれば当たり前なのだけれど、それこそ必死な僕は、きっとそこに目を瞑っていた。
なんとか形にしなければ。なんとか、、彼らにわかってもらわなければ、と。


その結果
夏前にまた一人辞め、夏の合宿後にもまた一人辞め。最初は12名いた選手も、夏休み明けには7名に減っていた。
辞めはせずとも、迷いや悩みの中でプレーしている選手もいて…そこでようやく、僕はそれまでの自分の路線を変更することを決意することになる。

 


【 ⑤ 好転の兆しが見え始めた2018年秋〜冬 】


秋から、それまで自分が担当していた水曜と金曜の平日練習をそれぞれ別のコーチ(松永コーチ・大和コーチ)に全て任せ、自分は一歩引くことにした。
自分が前面に出ず、練習メニューもオーガナイズも全てコーチ任せ。自分はその練習を端から見ながら、ひたすらボール拾いに徹する。


グランドに来て選手全員とハイタッチをして、合間にはサッカーに関係ない話をたくさんしながらフランクに接し、練習後にはやはり全員とハイタッチをして。


ハイタッチで手を触り、会話で心に触る。
練習中は、ボール拾いに徹する姿を選手達に見せる。恥も外聞もない。彼らの心のブロックを解き、身体の力みを取り、そしてこのクラブをそれぞれの「居場所」と思ってもらいたいから、本当は自分で練習を指導したいというコーチとしての欲求も、クラブの代表というクソみたいなプライドも、とっくにその辺に投げ捨てた。


そうしていくうちに、彼らの表情が変わってきた。今まで絶対的な存在に見えていただろうクラブ代表の僕がボール拾いをするようになり、選手達の雰囲気が変わってきた。
雰囲気が変わったら、今度はプレーのスタイルも変わった。そしてそれに呼応するかのように、彼らのプレーも変わっていく。


力が抜けて、ゆとりが出来、味方同士「繋がってる感」の中でプレーするようになり、急ぐことがなくなり、遊びとアドリブの要素が随所に見られるようになってくる。


味方同士が頭と心で繋がれるようになってくると、相手よりも早くでき、相手にバラさず虚をつける。状況に応じ相手にバラさずにいなしていくという、観ていて明らかに面白く魅力的なフットボールが、練習のたびに、どんどん組み合わさっていくような。
そんな彼らの「プレーモデル」が、自然に醸成されていったのだ。


プレーモデルは、指導者の好みや一方通行の押しつけでつくるのではない。

選手同士の関係性、選手とコーチの関係性、それを合わせてクラブの雰囲気と言うのであれば、まさに
『クラブの雰囲気がプレーモデルをつくる』のであり『プレーモデルをつくるのは選手』なのだと、彼らが自身で示してくれたような気がした。


これは、大きな発見と喜びだった。


前にもブログに書いたけれど、スエルテを一人で立ち上げてから最初の3年間くらい、僕はなんとか「結果を出したい」「選手達を上手くさせたい」と必死になって、選手達の表情を見失って、心を見失っていて
ゆとりも余裕もなく、疲れ切ってしまった頃にお手伝いとして2人の学生を招く。それが、今でも関係性がずっと続いている、斎藤コーチと今井コーチという救世主だった。


彼らが練習前や合間に子ども達とたくさん遊んでくれたことで、僕はふっとそれを眺める余裕ができ、心にもゆとりができ、少し引いたところから客観的に子ども達や全体の雰囲気を見ることができてきて
そこから子ども達はグングンと巧くなり、雰囲気も良くなっていき、クラブのサイクルは一気に好転していった。その副産物として、結果も出るようになっていった。


それが、16年前の出来事。


その16年後、僕はまた同じ過ちに足を踏み入れてしまい、余裕をなくし、そしてまた、今度は松永コーチと大和コーチという2人のコーチ仲間に救われた。16年前と同じ過ちをし、同じように救われたのだ。失敗から学ばないどうしようもないやつだし、そして仲間に恵まれている幸せ者だ。


結局、自分一人では何もできない。普段、選手達にしつこいほどに説いていることを、自分自身で痛感したのだった。

 


【 ⑥ クラブユース連盟への正式加盟が叶った2019年3月 】


3月、神奈川県クラブジュニアユース連盟の総会に出席させて頂き、2019年度からの正式加盟が認められた。(正式に認定されたのは4月なんですが)
総会後、一人で帰ったクラブハウスで一人で酒を飲み、ようやくここまできたか…という感慨に耽った夜。

 


【 ⑦ 新一年生の確保にギリギリまで奔走した3月 】


そうは言いつつも、新一年生、つまりジュニアユース2期生の募集には昨年度と同様に苦労して。
うちのジュニアから内部昇格してくれる選手が5名と、他クラブからの1名が決まっているのみで3月に突入。3月末になりうちのジュニアから最後の1名が決断してくれて、さらに親交のある横浜の某クラブの選手達に最後の「ラブコール」をしたくて、想いを伝えたくて、時間を取ってもらって直接話をさせてもらったり。


有り難いことにそのクラブからも2人入ってくれることになり、何だかんだでなんとか9名が決まった。


そして3月31日、年度が変わる最後の日の夜。
僕は九州への一人旅の最後の目的地として福岡県糸島にいて、そこに移住した友達・有坂さんと一緒に酒を呑んでいた。
そこに一通のLINEがきて
数日前、話を聞いてくれたあのクラブのもう1人の選手が、うちに入ってくれるという知らせだった。


彼は当初は地元中学の部活に入るつもりでいたらしいのだけれど、僕からの話を聞いてから彼なりに考えてくれたのだろう、悩んだ末に、うちに入ることを決断してくれた。


年度が変わるギリギリのタイミングで、この決断。きっと彼にとって大きな決断だったのだろうし、勇気のいることでもあっただろう。そんなことを想像しながら嬉しい想いを有坂さんに吐露してるうちに、気づいたら涙が出そうになっていた。


彼の熱い思いと決断に有坂さんも感動してくれて「彼にメッセージを送りたい!」と。
せっかくならクラブの選手全員に向けてメッセージをしてほしい!とお願いして
ならばと、僕も有坂さんがコーチを務めるエリア伊都の選手達にメッセージを送ることになり…


真夜中、終電間近の駅の待合室で、2人で動画の撮り合いをした3月31日の夜。
この日の夜のことも、有坂さんがくれたうちの選手達への熱いメッセージも、僕はきっと生涯忘れることはない。

 


【 ⑧ 2年目スタート、横浜市長旗杯 & クラブユース選手権 】


4月になり、いきなり横浜市長旗杯という横浜市の公式戦が始まり、感慨に耽る間もなく、最初の公式戦に臨む。そして間髪入れず、ビッグマッチである「クラブユース選手権」にも参戦することができた。


2年目の春。1.2年生合わせて16名というまだまだ小規模なクラブだけれど、ついにサイクルが周り、いろんなことが一気に始まった。ついに、ついに動き出した。

 


【 ⑨ 2019年4月29日、平成最後の試合 】


昨秋から雰囲気を醸成していく過程で彼らがつくりあげてきたプレーモデルは、ゆっくり、ゆったりといなし相手をクルクルさせながら「いつでも早くできるぞ」「いつでも裏は取れるぞ」というものだったのだけれど
この日の試合で、良い意味でそこからの脱却の兆しが見えた。寄せが速く激しいチームのおかげで闘争心が引き出され、噛みつき合いに乗っかり、味方との短い連携の中で局面を潜り抜け、抜け出し、速く崩していくという、新たな姿が見られた。


これもやはり、こちらからの焚き付けやコーチングによるものではなく、良い相手との真剣勝負の中で、彼ら自身が試合中に「今できること、やりたい事」から脱却し、新たな自分へとデザインし駆け上がっていく、アップデートの姿だった。


平成最後に、またもや殻を破った。その姿が、僕は涙が出るほどに嬉しかったんだ。
平成最後平成最後としつこいけれど、本当に、最高の締めくくりとなったと思う。


プレーモデルは選手が決める。
これを、彼ら自身がまた証明して見せてくれたから。


4月が終わり、平成が終わり、令和となるこのタイミングで、ようやく本当のスタート地点に立てた気がした。

 

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以上が、ここ2年間の出来事と、僕の心の中。

 

ジュニアユースとして、今は第一章が終わったところ。ここから先、彼らが自らデザインしていく第二章がどうなっていくのか、楽しみで仕方ない。


【ロボス・ラコリーニャス】とは、丘の上の狼たち、という意味。


勇気を出して丘の上に立った16名の若き狼たち。何一つ同じじゃない、魅力ある選手が揃ってます。そんな彼らを、これからも、どうぞ宜しくお願いします。


そしてこれまでご支援下さった数多くの皆さん、本当にありがとうございました。