ロボスフットボールクラブ日報、週報、いや月報?季報?年報かも

横浜市で活動しているロボスフットボールクラブです。クラブのスローガンはSUSTAINABLE FOOTBALL。好きなサッカーを長い人生で、ずっと楽しんでもらえるように。横浜/保土ヶ谷/旭/戸塚

クラブ創立20周年を迎えました。皆さんに感謝!

2019年4月30日

「平成最後の日」となったこの日、クラブの卒業生達が集まって、クラブの名物企画

「サッカー広場」を開催。たくさんの卒業生達が来てくれた。

 

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平成最後の日に、同じ時代を過ごした卒業生達と一緒にサッカーをするっていうのは我ながらなかなか良いアイデアだったと思う。だって一生忘れないじゃん。

そういえば平成最後の日はスエルテの仲間とコーチとで集まってサッカーしたよなって、きっと何十年後かに、ふと思い出せる。「平成最後の日」というわかりやすい節目のキラーワードがあるからね。

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そんなわけでこの日は懐かしの卒業生達の顔を見れて嬉しくて、一緒にボールを蹴って楽しくて。それだけで充分に幸せだったのだけれど、その後に有志だけで飲み会を開いたその場所で、いきなり「クラブ20周年のお祝いに」と、彼らからサプライズでプレゼントを貰った。予想もしていなかったことだから本当にびっくりして、ただただ、本当に嬉しかった。

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そう、平成が終わり令和が始まるこのタイミングは、このクラブ(旧・SUERTE Juniors横浜 〜 現・LOBØS.FC)を立ち上げてから、ちょうど20年。


カッコつけて言えば、クラブ創立、20周年を迎えた5月だったのだ。


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話は遡り、20年前の1999年(平成11年)5月。自分には何の縁もゆかりもない横浜にある某幼稚園で、自分はひとりでサッカークラブを立ち上げた。


スタート時、選手は3人。入会してくれたらボールをプレゼント!なんて聞こえのいい宣伝をしても、やっぱりそんなに甘くはない。たった3人からのスタートで、このクラブは産声をあげた。そのうち少しずつ人数は増えていったけれど、最初の学年、つまり「クラブ1期生」は結局5人。卒業までそれは変わらなかった。でも、最後まで続けてくれたことが嬉しかった。


あの時、小学1年生だったクラブ1期生達は今年で27歳になる。そのうちの1人は警察官になってその時に久し振りに挨拶に来てくれたけど、あとの子達は、今どうしてるんだろ。

 

20年。

一つのことを長く続けられない自分が、一つのことを一つの場所でずっと続けてこれた。これはもう、ミラクルとしか言いようがない。

でもそのミラクルを起こせた理由は自分でもハッキリとわかる。それは、決してひとりだけでやってきたわけじゃない、ということだ。


もちろん、順風満帆にきたわけでは決してない。ある時は父兄の反感を買っていきなり数名で辞められてブログのコメント欄に罵詈雑言を延々と書かれたりもしたし(あれは相当に堪えた)ある時は、自分の「オウンゴール」でクラブの存続が窮地に陥ったことも、数回あった。でもそんな時にも味方になってくれた人がたくさんいたことで何とか救われ、そんな人達のおかげで、今がある。

 

クラブを立ち上げてからたった一人でイキってもがいて苦しんで行き詰まっていた時に、アルバイトコーチとして来てくれた斉藤隆士さん、今井慧さん のふたり。


彼らが来てくれたことで僕は少し引いたところから客観的に子ども達を見れるようになり、ゆとりができ、それまでに僕が施したどんなに凝った練習メニューよりも、彼らが子ども達とひたすら遊んでくれたことだけで子ども達がグングンうまくなっていき、サッカー好きな子達が増えていった。


サッカーは遊びなんだ、もっと楽しくやるものなんだ、そして何よりも自由なものなんだということを僕に気づかせてくれたし、今やクラブの代名詞でもありキャッチフレーズにもしている「アドリブラー」という言葉も、その頃に生まれたもの。


そんな彼らふたりと当時の子ども達のおかげで、探していた「クラブの色」というものが、ようやくこの頃から、徐々に見え始めて来た。


アルバイトとして初めてうちに来てくれた時、斉藤&今井の両氏はまだ19歳の学生だったけれど、今やもう35歳…!

斉藤氏は川崎フロンターレのアカデミーでコーチとして活躍して、今井慧氏は「大人になってから学ぶサッカーの本質」という大人気サッカーコンテンツを運営して、サッカー界のインフルエンサーとなっている。さらに昨年から立ち上げたうちのジュニアユースにも、関わってくれている。


この2人だけでなく、その後にコーチとして来てくれたのが

奥山祐人さん、川口亮太さん、山崎健太郎さん、今泉篤志さん


数年前からスタートさせた金曜トレーニングのコーチとして呼んだ鬼木祐輔さん

彼は今、長友佑都選手の専属コーチとしてトルコで頑張ってる。


今もコーチとしてクラブを支えてくれている松永菜満さん、そしてクラブの卒業生(6期生)で、昨秋にコーチとして帰って来てくれた大越早貴さん


さらに週末にサポートしてくれる存在として大島さん、金崎さん、田部さん

昨年度から立ち上げたジュニアユースにGKコーチとして関わってくれている阿部さん

 

鬼木さんの後を引き継いで金曜のコーチをしてくれている大和明志さん

今年からジュニアユースに携わってくれることになった松尾顕雲さん


コーチとしてだけでも、こんなにたくさんの仲間に恵まれた。


さらに、これまでの年月の中でこんなクラブと交流してくれた、たくさんの他クラブの方々。試合相手、交流してくれる相手がいないとクラブは続けていけない。こんなに偏屈な僕と、そしてこんなに偏ったクラブと交流してくれるだけでも、本当に有り難かった。


その数々の出会いの中で、人柄に惹かれ、大切なものを共感できる本当の仲間にも数多く出会えることができた。それこそ、全国各地に。そんな仲間達とはこれからもずっと、刺激し合いながら、教わりながら、大切なものを共有しながら、良い関係性をずっと続けていければと思ってます。全国津々浦々のコーチ仲間の皆さん、これからもよろしくね。

 

そして

岩谷さんと畑先生。このお二人だけは外せない。お二人に出会えたことは、指導者としてはもちろん、自分の人生にも大きな影響を与えてもらいました。このお二人にはきっと一生追いつけないとわかってるから、いつまでもいつまでも、その背中を追い続けたいです。そのためにも、もっと自分を磨きながら、変化していかなければ。

 

そしてもちろん、歴代の卒業生達やその保護者の方々がいたからこそクラブはずっと潰れずに成り立ってきたわけで。

この20年、子ども達とサッカーをする毎日の中で僕もたくさんの学びがあり、変化をし、生きていく上での素晴らしい彩りを与えてもらった。死ぬ時にはきっと真っ先に彼ら彼女らの顔を思い出すだろうし「あぁ、クラブつくって良かったな」って思いながら死ねると思う。

(たぶん)


みんな、本当にありがとう!そしてこれからもよろしくね。


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卒業生達と一緒にボール蹴って一緒に飲んで一緒に歌った平成最後の夜が終わり、明けた翌日、令和最初の日となった5月1日には、現役クラブ生達を対象にしての「令和最初のサッカー広場」を開催した。

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その時にも話したけれど「いつかみんなが大人になって、令和の時代が終わる時に『あぁ、そういえば令和最初の日にはみんなで集まってサッカーしたよな』って、思い出してくれたらいいな」と。

 

かつて、岩谷さんに言われたこと

「子ども達の姿を見れば、指導者がどんなやつかはすぐにわかる。指導者の人柄が、クラブの色になるんやで」と。これを言われた時は胸に強く突き刺さったし、それはまだ僕の胸から抜けていない。


これまでクラブをつくってきてくれた卒業生達から受け継いで、今、このクラブでサッカーを楽しんでくれている、目の前の子ども達。つまりこの子達の姿が、岩谷さんの言う通り「クラブの姿」そのものということ。


彼ら彼女らの顔を曇らせてしまうのならばそれは自分のせいだし、サッカーをすることで彼ら彼女らが少しでも喜んでくれて、幸せを感じてくれているのならば、それだけで、自分がまだこのクラブで21年目以降も続けていける、大きな理由にもなる。

 

20年の中で起きた、数々の失敗と発見と成功と変化を繰り返しながらの積み重ねとアップデートの中で、現在の自分と、現在のクラブの姿がある。


今、クラブに在籍してくれている子ども達には、最新で最高のクラブとして、サッカーのある毎日を提供していかなければならない。

それが、これまでこのクラブをつくってくれた卒業生を始め数多くの方々への、せめてもの報いになるのだろうと思ってます。

なのでもう少しだけ、頑張ろうと思います。ジュニアユースも立ち上げたことだし!


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最後に

冒頭に書いた「某幼稚園」とは

20年もの間、雨の日も風の日も、何も言わずに園庭をずっと貸し続けて下さった

「さこんやま幼稚園」のこと。

この幼稚園なくして、クラブは決して存続できませんでした。

 

おそらくたくさんの迷惑をかけたと思うのですが、それでもまだ、こうして毎週、園庭を使わせて頂いて、本当に、この文章だけでは表せないほどの感謝をお伝えしたいです。

本当に、ありがとうございました。そしてこれからも、よろしくお願いします。


園主先生が、いつかの七夕で短冊に書いていた言葉

「子どもは、すべて自然から学ぶ」


うちのサッカーも、そうありたい。強制でもなく訓練でもなく鍛錬でもなくレッスンでもなく、刺激と笑いとドキドキと楽しみの中で、大切なものを子ども達が自然に感じ、気づき、学び取りながら、大きくなっていってほしい。


We can be adlibler 

(僕らはアドリブラーになれるんだ)


このフレーズは、これからも変えずにいきます。

 

全ての皆様

20年間、皆さんありがとうございました。

そしてこれからも、宜しくお願いします。


20周年のお祝いは、一年中受け付けおります!(笑)

 

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