クラブは彼らのもの
9月、ある日のこと
この日の練習、クラブ卒業生の早貴がまた来てくれて、練習を手伝ってくれた。
彼女は小学校の先生になるために大学で勉強しているのだけれど、今現在、すでに自らの出身小学校にボランティアで毎週行っていて、子どもたちと関わってる。
で、その小学校に通う子達がうちのクラブにも多く在籍してるので、さっき学校でも会って、夕方はグランドで会って…という関係性も。
今その小学校は運動会練習の真っ只中で、低学年の子たちは揃ってダンスを練習しているらしい。
この日の練習前、ある1年生の男の子が、そのダンスを早貴に見せていた。練習した成果を見てほしかったのかな。
僕はその時、ダンスを踊る彼ではなく、それを見守る早貴のことをずっと見ていた。
彼女とは10年以上の付き合いになるが、今まで見たことのない、初めて見る顔をしていたから。
その時の彼女の顔は、すっかり「先生」の顔だった。
放っておけない生徒のことを心配そうに見守る先生の顔、をしていた。
それを見て、あぁこいつ本当に大人になったんだなぁと、気づかれないように一人で感慨に耽る。
嬉しい感情と、もう大人になってもうすぐ本当に羽ばたいていってしまう寂しさ、みたいなものもきっと含まれていて
でもやっぱり、嬉しい感情のほうが大きかった。
ちょっとした風景だったけれど、なんだかとても印象的な顔、印象的な出来事だったのだ。
こんなことでいろんな感情が巡ってくるということは、俺も本当に歳をとったということなんだろうか。
そんなこんなで低学年の練習が終わり、その後始まった高学年の時間。
いつも通りに彼らが自ら集まって、ゲームを始めている。
そのゲームが、間違いなく近年イチのクオリティーで、数年ぶりの高揚した雰囲気とノリが溢れていて
サッカーを習いに来ていなく、教わりにも来ていない。そう、本当の意味でサッカーを「しに」来ている彼らが繰り出すゲームのクオリティーが、本当に本当に高かった。
このゲームには早貴も混ざっていたけれど、彼女が小学生の頃のゲームが、毎回まさにこんな感じだった。
練習前に集まった者たちが自然に集まり少人数のゲームから始まって、だんだん人が増えていって
気づいたら練習開始時間はとうに過ぎているけれど、あまりの熱に僕はそのゲームを止めることが出来ず、そのままずっとゲームだけでその日の練習を終えることも多かったし、時には僕も一緒に混ざりながら、彼ら彼女らとの時間を心底楽しんでいた。
当時の子達のクオリティーは今から考えても相当に高かったんだけど、そのクオリティーを生み出したのは僕の練習ではなく、彼ら彼女らが自分たちで勝手に毎回始めていたあのゲームこそが、生み出したものだった。
あの頃の空気を、この日久しぶりに、本当に久しぶりに、思い出した。
そう思い出さずにはいられないほどに、この日の彼らのゲームは観ていて楽しくて、ゾクゾクして、ワクワクして、感動的ですらあったんだ。
先生の顔になった彼女の顔を見てウルっときて、高学年の子達が見せてくれたゲームを観てまた泣きそうになって
昔を思い出してまたウルっと来て
なんの因果か、そのゲームには成長した教え子が大人になって混ざってくれている。
昔からタイムスリップして来たみたいに、そこにいて。
そんなカオスな光景に、たぶん4回くらい泣きそうになった。
ただ単にある日常の練習でも、こんなに想いを巡らせることができる。毎日がドラマだ。
子どもたちはそれぞれ必ず卒業していって、新しい子達が入ってきて
そして卒業生たちが大きくなって戻ってきてくれて、大切なことを身をもって伝えてくれる。
そうして、クラブは続いていく。
自分がここから去っても、クラブだけは、何としてでも残していかなければいけない。
クラブは僕のものじゃない。今いる選手たちと、卒業生たちのものなのだ。
その理想形を見れた、幸せな時間だった。
今週火曜日(18日)には、突然この面々も!
左からリンタ、ユウガ、タイト、カズキ
嬉しいねぇ。
タイトが着ているのは、懐かしのスエルテ Tシャツ。まだ着れてるw