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横浜市で活動しているロボスフットボールクラブです。クラブのスローガンはSUSTAINABLE FOOTBALL。好きなサッカーを長い人生で、ずっと楽しんでもらえるように。横浜/保土ヶ谷/旭/戸塚

グラウンドに礼!!

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先日、アシタノタメニリーグでとあるグラウンドに行ったときのこと。

我々のリーグ戦が行われる前に、違う少年団たちがグラウンドで試合を行っていて、とある光景を目の当たりにした。

 

 

 

 

 

「気をつけ!!グラウンドに礼!!あーりーがとーーごーざいましたっ」

 

 

 

 

 

グラウンドに横一列、誰もいないピッチに向かって一礼。
近年はガクッと減った気もするが、自分が子どもの頃はどのチームもやっていたような、懐かしい光景である。

が、はっきり言ってこの「グラウンドに挨拶」には違和感を感じざるを得ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろん子供に感謝の気持ちを・・とか、物の大切さ・・とか、はたまたグラウンドを確保してくれた方への間接的なアピール・・とか、いろいろな意味/思惑があるのはわかる。

 

 

 

ただ、自分自身、小学校6年間、おそらく全ての練習日と試合日にグラウンドに挨拶をしていたと思うが、グラウンドに対して感謝の気持ちを持ったことはぶっちゃけないし、

 

「じゃあボールとかスパイクとかにも礼しろよ」

「水道の水、飲んでんだから水道に頭下げろよ」

とか、とんだ屁理屈を振りまいていたことも思い出す。
(のちに、ボールやスパイクは自分のものだから、公共のものとは違う・・・とか、子ども同士ながらそんな話になったことも思い出す)
(またさらにのちに、東北で共にプレーしていた某強豪校出身のチームメイトから、「俺達は毎朝、全部の電柱に挨拶をしていた」というエピソードを聞き、水道に挨拶しろよと冗談半分で言いつつも、結局はそんなことはしていない自分をちっぽけに思ったりもした)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな少年時代の記憶。


後にブラジルからはじまりスペインまで・・・サッカー大国から後進国まで世界各地のサッカーに触れたものの、グラウンドに礼する文化は、日本以外に皆無だった事実。
時代の移り変わりによる様々な人の意見。
というか、本当に思ってるならとても良いが、ほとんどが形式的に行われている空虚なものであること。

 

 

それらの事実を総合的に鑑みて、「グラウンドに礼、否定派」とでも言わんばかりのマインドであったので、当然この4月にロボスに来てからも、選手たちにグラウンドへの挨拶をさせようと思ったことはない。ただ――。

 

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そう言えば好きだった

そんなことを思っていたが、冬のピリっとした空気に、某少年団の声が轟いていたのと、大きい声を出すことそのものを楽しんでいるような子どもたちの雰囲気を見て、「否定派」の自分にとあるフラッシュバックが起きた。

 

 

「あ。俺、そういえばグラウンドに挨拶、めちゃくちゃ一生懸命やってたやん」

 

 

 

 

 

 

 

確かに当時は感謝の気持ちはなかった。そんな形式的なルーティーンの中で、本当に感謝の気持を持てていれば素晴らしいことだったが。

 

ただ、肝心の感謝の気持ちは一切ない反面、声だけは大きく出していて、"ちゃんとした挨拶"を周りにも促していたような記憶がある。

 

 

 

 

 

ちゃんとしていた理由としては、

「声が出てる日は、なんとなく調子がいいように感じる」

とか

「大きい声でやれば、気合が入る気がする」

とか

「他のチームより良い感じに挨拶できていれば、その時点で相手を上回っているような気がする」

とか。

 

 

そのあたりを感じていたので、挨拶自体は本当に一生懸命やっていた。
真面目にやっていたのにも関わらず、本質的な意味は掴めていない自分が、実にナンセンスだが、兎にも角にもグラウンドへの挨拶は基本的に一生懸命やった6年間だった。(泣いたり怒ったりしていて、適当にやった日も何度かあるとは思うが)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

てな具合に、名前も知らない少年団の挨拶で、しばし物思いに耽ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

やらされてやることに意味はない上に、意味自体も見出しにくいわけだから、グラウンドに挨拶するつもりは現時点でない。

 

 

 

けど、それらをまったく体験しないまま大人になるのも、それはそれでどうなんだろうか?

 

 

 

 

 

 

意味がないと思っていたグラウンドに挨拶だったが、そこから17年ほどが経って、「グラウンドに挨拶」をネタに、ここまで1500文字。これだけ書けるようになっただけでも、挨拶したことには意味があったんじゃないか?

 

 

 

そんなことまで考えればもはや哲学()だが、少なくとも今の選手達に、当時の自分と似たような体験はしてもらっても良いんじゃないか、、、?ふとそう考えた。

 

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ちょうどよく、、と言うわけでもないが、良い材料を見つけた。

 

 

 

相手チームへの挨拶と、保護者への挨拶である。

 

 

 

 

 

コロナ禍で、保護者の観戦、ならびに保護者への挨拶も禁じられていた状況でもあったが、応援してくださった方へ感謝の気持を伝えることは非常に大切だなと思っている。

 

なので、最近は挨拶も「解禁」されつつあることもあり、選手たちにも挨拶を促しているが、これを良い機会に色々と考えてもらうことにした。

 

 

 

 

「このあと相手とか保護者に挨拶するけど、今日の挨拶はどうやってやるか、みんなで考えてごらん」

 

 

 

もちろん、今日この日、選手たちが挨拶の本質を掴み、人生においてこの日が大きな分岐点となるようなことは期待していない。

が、とりあえず大人にこうやれ!と言われるよりは、自分たちで考えるほうが何か気づきになるんじゃないか、そう思い、そんなこと促してみた。

 

 

 

 

結果、あまりにも自分たちで色々考えて楽しくなっちゃったようで、ヘラヘラ・クスクスしながらの、非常に締まりのない挨拶となった(苦笑)

その後、保護者への挨拶もピリッとしないダラダラしたものに。

 

 

 

 

まあ、こんなもんだよな・・・とガックリしつつ、

 

 

「やるならちゃんとやろう」

「挨拶するときは帽子とったほうが良いって学校で習わなかった?」

「挨拶来た人がヘラヘラしてたらどう思う?」

 

 

 

と、軽く(ややきつめに)ご提言。

ぶっちゃけ、人様に挨拶について物申せるほど、自分自身もちゃんとしてるとは思えないが、ここで何か言うのは大人の役目だよなと思いつつ、説法を説かせてもらった。

(挨拶のときは帽子を取りましょうね、という話をしたあと、それを聞いてきた保護者の方が脱帽していた。保護者の方にそんなことをさせてしまうつもりは一切なかったので、それをみて帽子がトレードマークな自分は、大変恐縮な気持ちになってしまった。人の振り見て我が振り直そ、、、)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フツーでいる必要はないけど、フツーは知っててほしい。

選手たちには、挨拶する、しない、そのものよりも

「普通世の中ではこうする」というのを学んでほしいなと思う。

 

大人になれば、挨拶ひとつないことがきっかけに、上手くいくものが行かなくなる時がある。

実際、自分の会社も4期目に入ったが、大事なプロジェクトや仕事を、自分や周りの挨拶ひとつでオジャンにしたり、トラブってしまった苦い経験は、ひとつやふたつではない・・・。

 

 

また、

「挨拶するべきとわかってて、挨拶しない」

とか

「挨拶する必要はないのに、挨拶に行く」

とか

 

こういった駆け引きも、実際問題存在する。

これは大人の嫌な所だな、と思いつつも、小学生も高学年になれば、こんなことが起こり得ることは理解できると思う。

中高生になれば、この辺をわかってるかわかってないかは、実際自分にそのまま、損得として跳ね返ってくることも多い。

 

 

 

 

そんな処世術的な観点も理解してほしいし、そもそも!
応援してくれた人、対戦相手、そういった人たちには、例え形式的な挨拶がなかったとしても、リスペクトを持てる選手になってほしいと切に願う。

 

 

 

 

 

 

 

4月に代表となってから「普通」は意識しているポイントのひとつ。

当然、おもしろくて個性的なサッカーをしてほしいが、セオリーがわからなければ意外性のあることはできない。型がわかるからこそ、型破りなこともわかる。

 

 

当然、人生の大半をサッカーと過ごしてきたので、指導をする立場として自分の味を出したい気持ちは相当にある。が、それをグッとこらえて、いわゆる普通のサッカーを一旦経験してもらっている。

 

 

普通とは何か?

が、わかった上でのトリッキーなプレーは存分に出してほしい。
一般常識がわかった上でなにか信念があれば、奇天烈な格好をしてくれても、髪を染めてくれても、はたまたタトゥーを入れてくれても構わない。

 

むしろそういう風になってほしいなとすら思うが、まずは「普通」を知ってもらえればいいかなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「普通はここでシュートしないところから打つ」

「誰もがパスだと思った瞬間にドリブルする」

「奪えるはずないボールを奪う」

 

 

そんな選手になるのも、まずは普通のことから、ね。

 

 

 

 

 

まるやま