季節が君たちだけを変える 〜 卒業生達との再会を経て
この写真、なんだかとても嬉しい。夢のような一枚だ。
10月30日(火)
『SUERTE juniors 横浜 〜 伸哉追悼・第2回 卒業生限定サッカー広場』
急逝したクラブ卒業生、伸哉を偲んで開催した卒業生限定サッカー広場、この日はその第2回目。
1回目の様子はこちら
2回目となる今回は平日ということもあってそんなに参加者いないかなと思っていたら、前回よりも多くの卒業生が参加してくれて。
そして伸哉のお母さんまでも、彼の写真と共に顔を出してくれました。
前回には参加できなかった子達や、保護者の方々も。みんな久々の再会なのだけれど、やっぱり変な壁もなく、すんなりと会話に入れる。あの自然な感じ、とっても懐かしかった。タイムスリップした気分で、夢見心地な自分がいた。
成長して帰ってきた卒業生達に会うと、いつも思うこと
彼ら彼女らは見た目も大人になり、背も大きくなり、声も変わり、そしてもちろん中身も、信じられないほどに成長して大人になってる。全て当たり前のことだけど。
でも自分は… 彼ら彼女らが卒業していって過ぎた年月の分だけ歳をとったけど、でも正直、自分自身の中身はあの頃のままで何も変わらず。風貌も中身もそのまんまで、何一つ進化してない気がする。
卒業生達との再会は、コーチとして一番嬉しい出来事。でも、どんどん成長していく彼ら彼女らを見て、自分だけが取り残されているような感覚にも、いつも陥ってしまう。不思議な感覚だ。
BOØWYの「季節が君だけを変える」という名曲があり
氷室さんが描いたこの曲は、変わっていく彼女に気づかず、いつのまにか自分だけが取り残されていたという歌詞なのだけれど、今の自分の気持ちは「季節が君たちだけを変える」という感じだ。
みんなはどんどん変わっていく。でも自分は何一つ成長してないよなって、いつも思っちゃう。
もちろん、良い意味での変化に会えて、とっても嬉しいほうのやつだけども。
でも、こういう想いに駆られることこそが「歳をとる」ってことなのかなぁ、なんて思ったり。きっとそうなんだろう。
何にせよ!あの子達の成長してる姿を目の当たりにできるのは嬉しいことです。
会いに来てくれる、愛すべき教え子達には感謝しかない。
そして思ったこと
もっと、当たり前のように会える機会を増やしたい。
伸哉の追悼という形でこの「卒業生限定サッカー広場」を10月に2回やったけれど、これで終わりにするのはもったいないよねと、皆が口にしていた。もちろん僕も同意見だし、むしろ僕が一番そう思ってる。卒業生達との再会が一番の幸せ、といつもブログやSNSなどに書くのだけれど、その気持ちは本当にその通りで、きっとこれからも変わらずのまま。
そんな自分の想いだけでなく、彼ら彼女らが帰って来られる場所、普通に集まれる場所をもう一度つくりたいなと、この2回のサッカー広場で大勢の卒業生や当時の保護者の方々と接して、強く思うようになった。
そんな想いを決定づけた『SUERTE juniors 横浜』の盛大な同窓会。
伸哉が集めてくれた機会。せっかくのこの機会を、これで終わりにもしたくない。
というわけで …
【卒業生達へ】
なので、これからもやることにした!とりあえず月に一度くらいの頻度で、月の終わりくらいにやる感じで日程を組んでいきます。そのたびにお知らせするから、みんな来てね!
当時の保護者の方々もぜひ集まって、昔話に花を咲かせ、彼ら彼女らの成長を見て驚きながらも、お互い楽しめる機会にしてもらえればと。
次回は11月30日(金)
19時〜スポセン
せめてこの場では、気を使って「ロボス…」なんて言わなくていい。
遠慮せず、みんな「スエルテ」のままで。
待ってるよ!
不思議なゲーム
LOBØSと府中新町、不思議な対決が実現しちゃった
10月28日(日)
LOBØS・U-8 vs 府中新町FC
(スポーツフィールド戸塚)
昨年度から不定期でお手伝いをしている府中新町FCと、横浜の地でトレーニングマッチ。
両チームともに知ってる選手だから、何だか不思議な感じでした。
2年生は次週にレコスリーグがあり、その日は8名だけで行くので、今日はそこに行かないメンバー達での試合。本来ならば常に全員を呼んで同じ場で試合をさせたいけれど、時間や人数の問題もあるし、対戦相手との兼ね合いも含め、どうすれば「一番練習になるか」を考えてのこと。その辺、保護者の方々にはご理解頂ければと。
ピッチを2面つくって、1年生と2年生で同時進行。2年生の方は最近退院したばかりの(大丈夫かー)松永コーチに見てもらって、久保田は1年生のほうを。
徐々に徐々にゲーム慣れもしてくるのだろうけれど、1人で10人分くらい走ってボールに食いついて、相手にも最後まで食い下がろうとするような子もいれば、やはりまだ、ただその場にいるだけの子も半分くらいいる。目の前にボールが来てもそのままスルーとか、次の試合、休みたい人いる?と聞いたら喜んで何人も手をあげるとか(笑)
意地でも手を上げない子もいるんですけどね。
そんな感じで今年の1年生は例年に比べて目覚めもなかなか遅い。なのでこれからも毎回常に試行錯誤しなきゃなんだけれども、この日の最後のゲームに前に、少しだけ
彼ら彼女らに「サッカーをやるってことは」を伝えました。
「幼稚園の時からサッカーをやっていて、小学生になる時に『これからもサッカー続ける』って、自分で決めたんだろう?」
「幼稚園の時はまだサッカーしてなかったけど、1年生になって『サッカーやる』って、自分で決めたんだろう?」
「もし自分で決めても選んでもいなくて、ただ親に言われただけでやってるだけの気持ちなら、とてもじゃないけどサッカーなんて出来ないよ」
と
そのような内容のことを、大事なことなのでギャラリーにも聞こえるように、彼ら彼女らに問いただしながら伝えました。
まだ始まっていないのならば、今から始まればいい。まるで遅くない。
その始まりを、今にしようと思った。
その最後のゲームは、2-0で勝ち。
ほら、やれば出来るじゃないか!と褒めたけど、もちろんそれはこちらがガンガン焚きつけたからだし、あんな焚きつけを毎回やってたらこちらの心も持たないしその前にあの子達がもう、サッカー嫌いになっちゃう。
だからこちらに言われなくても、あの子達が「試合楽しい〜!ひょー」と自ら躍動してくれるようになるまで、手を変え品を変えながら接していかないといけないですね。
お疲れさまでした。
府中新町のみんなも、わざわざ横浜までありがとう!
【大島レポ】U-12・レコスリーグ
10月28日(日)
U-12・レコスリーグ
(東京横浜ドイツ学園)
この日は大島コーチに担当してもらいました。
以下、大島コーチからのレポートです。
↓↓
足りないところ多々あれど、歩みは止まってはいないんだなぁと
このところ毎週訪れている東京横浜ドイツ学園でのレコスリーグ。今週もレコスリーグなんだけども、今日のリーグはU-12。
実はU-12の試合をみるのは久しぶり。数ヶ月ぶりにみる彼らがどんなゲームを披露してくれるのか、楽しみにしながらキックオフを待ちました。
すると、いい距離感から相手をうまく網にかけ、ボール奪取からのコンビネーションで、いきなり2点先取! これはひょっとすると・・・。と妄想が膨らみましたが、相手も態勢を立て直し、ストロングポイントである右ウイングを走らせ反撃。結局ロボスにとっての左の裏を取られまくって失点を重ねてしまい敗れてしまいました。
試合を通じては、左の裏を取られるのがわかってるのに、ベンチからの指示があるまで対策が取れなかったり、味方がボールを奪っても中途半端なポジショニングでみすみすパスコースを消してしまったり、ひとりドリブルを頑張りすぎて奪われカウンター食らったりと、まだまだ足りないところが多く目につきました。
けど、前見たときはこんなコンビネーションなかったよなというプレーや、この子がちゃんとサッカーできるようになったのか!とか、毎日見てたら微々たる違いでわからなかったかもしれませんが、数ヶ月ぶりにみるとみんな進歩し続けているんだなぁと、少し選手たちが逞しく見えました。
まぁ、甲高い声が減っておっさんみたいな声があちらこちらから聞こえてくるのには、さすがにガッカリしましたが ^_^;
大島コーチ、ありがとうございました!
6年・りゅうのすけパパが光の速さでアップしてくれたこの日のアルバムはこちら
https://photos.app.goo.gl/YyCw2RMJHX5S5zmL6
(試合動画もあるよ)
肉離れ疑惑、女神様、過去最高の入り、そしてゴッドハンド
10月27日(土)珍しく土曜に練習
うちは平日の練習日を火・木・金の週3回に設定していて、週3日の全てに来る子もいれば、週1、週2の子もいる。特に週1の場合、それぞれ《火曜だけ・木曜だけ・金曜だけ》と分かれるので、ぶっちゃけ同学年のチームメート同士でも、お互いに会うのは試合の日だけ、という状態の子が数名いるわけです。
なので
週末に場所さえ押さえられれば、なるべく練習機会を設けてお互いを
「合わせたい(会わせたい)」んですよね。
ということで、この日はスポセンで昼間に練習。もちろん自由参加だけど、思ったよりも参加してくれました。
最初のゲームを見ていて「少しゲームを落ち着かせよう」と思い
「よっしゃ、俺だけは2タッチ以下でプレーして、本当に巧いとはこういうことやぞって背中で伝えたるわ」
と珍しく意気込んでゲームに混ざったのが間違いだった(泣)
当初、素晴らしい準備の質と頭の中のイメージも完璧で、判断の速さとシンプルで的確な大人のプレーを見せまくっていた久保田選手でしたが
誰かが速い寄せをしてきた時に2タッチが間に合わず、仕方なく無理して3タッチ目で体を捻ってパスを出そうと思った瞬間
「ムニムニっ!」と左足ふくらはぎの筋肉が動くのが分かった。その瞬間「あ、やっちゃった」と思ったけどもう遅くて体は制御が効かず、パスをそのまま出してしまって筋肉がさらに剥がれた…ような。
ムニムニっ!から「肉離れだ。前やった時と同じ感触、同じ痛みだ」と悟るまで、その間およそ1〜2秒くらい。我に返り激痛に襲われ、足を地面に付けるのも痛く、まともにも歩けず、脂汗がタラタラと出てきて本当に終了…見事にやっちゃいました。
2タッチでやれない下手さが原因で怪我した。それがショック。まだまだだなー。
あーもう歩けない、練習どうしよ、と思ってた時、この日は来る予定のなかった早貴コーチが「どーもー」と笑顔で颯爽と登場。バイト行く前に、ふらっと寄ってくれたらしい。
女神かと思った。まじ救世主。ほぼ運命!w
さすが早貴様
ということで、その後の練習もゲームも早貴さんに混ざってもらって、結果的に自分が入るよりも良い練習になったような。
そんな救世主の早貴様ですが、僕が痛々しく歩くたびにゲラゲラ笑い、しまいには
「笑っちゃうからわたしの前を歩かないで」
とまで言ってきたので、もちろん素直に従いました。
そして
知らない間にインスタを上げやがってた(笑)相変わらず仕事が早い。
↓↓
そんな早貴さんが更新してくれてるロボスのインスタ、アカウントは lobos_yokohama
皆さんこの機会に要チェケら
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痛い足を我慢して無理やり運転かっ飛ばし、U-13の試合のため、夕方から二宮まで。
着いた時には痛みがさらに酷くなって、歩く姿は国会の牛歩状態。会う人会う人全てに「え、大丈夫ですか…」と引き気味で言われた。
U-13 vs 日独フットボールアカデミー
(二宮町民運動場)
なにげに、ジュニアユースを立ち上げてから初のナイター試合だったような。
試合の入りが、今までと比べても格段に良かった。ジュニアユースを立ち上げてからの数ヶ月で何試合もやったけど、この雰囲気は過去最高のもの。選手と話しても、彼らもそう感じていたらしい。これまでだったら失点をするとシュンと下を向いたり雰囲気お通夜状態になっていたのが、この日はそんなこともなく全体的にポジティブで、アグレッシブで、チームでやる、その中で自分を出し、活かす。大まかに言えば「味方と一緒にやる」という意識の部分で、明らかに進歩が見られた試合でした。
相手の日独フットボールアカデミーさんも、ドイツ人コーチの方にしっかりと指導されているのがよく伝わってくる素晴らしいチームで、レベルも高かった。選手達のサッカーに対する意識、取り組み方も、見習うべき点が多かったです。
またしても良い出会い。お互い今年からジュニアユースを立ち上げた同士ということもあるし、今後も良い交流をさせて頂けそうです。
日独フットボールアカデミーの皆さん、西松さん、ありがとうございました。
と言いつつも私はあまりの激痛に立っているのも辛くて、試合の途中で先に早退。うちの2年生のお父さんが院長をされている「つばさ整骨院」へと、ダッシュで向かいました。
「すぐにでも来て下さい!」と言って下さって。
いやぁ、勉強になった。こんな身近にゴッドハンドの持ち主がいたとは…
詳しくは次回のブログに書きますが、次の日にはもう、普通に歩けるようになってたし。
皆さんも是非!
オレンジ色の月と、いつかの流れ星
女子高生を指導していた数年前、練習中かなりバッチバチのゲームをしている最中に、ある子がタッタッターって僕に向かって走ってきた。何言うのかと思ったら
「久保田さん!いま流れ星が見えました!久保田さんも見ましたか?」
と嬉しそうに僕に言って、またすぐにゲームに戻っていった。
真剣勝負をしている最中に、サッカーとはまるで関係ないことを見つけて嬉しそうにそれを伝えてくれる彼女の感性が素敵だな、こういうの好きだーと、あの時に感じたのを今でも覚えてる。
今日(25日)のロボス高学年の練習にて
もうそれはそれは激しいゲームが繰り広げられてる最中に、某Sコーチがゲームに混ざりながら急に
「今日、月が綺麗!」って伝えてくれた。
彼女のその言葉を聞いて、数年前のあの流れ星のことを思い出して。
見てみたら、オレンジ色の満月が、本当にとっても綺麗だった。
サッカーしてるからってサッカーだけに夢中になるんじゃなくて、その場にあるもの、見えたもの、起こったこと、感じたこと全てにアンテナを張り、感情に素直になれる。そしてそれを人に伝えられる。
そんな時間と場所をつくりたいと、改めて思った。
思い出させてくれた彼女に感謝だ。
ちなみにあの流れ星の子は
「私、ジャイアントパンダを飼いたいんですけど…ペットショップに行っても、どこにも売ってなかったんですよー」
と、真剣に悲しそうに話してた、伝説の女でもある🐼
あともう一つ思い出した。
公式戦で交代しベンチに戻ってきて、いきなり僕の横に来て
「久保田さん、私最近、側転ができるようになったんです!」
と、嬉しそうに報告してくれたのも、彼女だった。
あいつ、元気にしてるかなー。
就任ではなく、復帰 〜 魅力あるコーチとは
クラブのホームページやブログなどでも既に周知しているように、10月から、クラブ卒業生の早貴(6期生・大学3年)が、コーチとして帰ってきてくれてます。
『 帰ってきてくれた 』
そう、告知の文章にも「クラブに復帰してくれました」と書いたように、コーチに就任した、ではなく「クラブに帰ってきてくれた」と僕は思ってる。
就任ではなく、復帰。
もし彼女もそういう感覚でいてくれているのなら、とても嬉しいのだけど。
卒業生はクラブの宝。そして自分にとっても、一生の宝。
苦楽を共にしたくさんの時間を共有した卒業生達に僕は死ぬまで感謝し続けるし、一生、忘れずにい続ける。
誤解を恐れずに言えば、現役のクラブ所属選手達よりも、卒業生達は大事な存在だ。
最近でも、卒業生の悲しい事故があったと知った日は迷わず練習を中止にしてそこへ駆けつけた。僕にとってはごく当たり前の衝動であり、行動だった。
別に今所属している選手達が大事じゃないと言ってるわけではなく、その子達だって卒業していけばきっと一生忘れられない存在になっていくし、彼ら彼女らに何かがあった時は、僕はすぐに迷わず駆けつける。
何で?と言われてもうまく説明できないけれど、とにかく僕にとって、卒業生はとてもとっても、大事な存在。
結婚もしてない、自分の子供もいない僕にとっては、彼ら彼女らこそが自分の生きた証、そのものだからだろうか。
数々の卒業生がいるけれど、その中でも早貴は僕にとって特別な存在だった。
コーチとして(こう言われるのを彼女は嫌うけど)毎回来てくれるようになった今、幸い保護者の方々からの評判も良く、彼女について聞かれることもちょいちょい増えてきたので
新コーチの紹介がてら、彼女とのこれまでの関わりと「クラブ復帰」をお願いした理由や経緯を、この機会に書いておこうと思います。
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12年前、小学3年生の時に彼女はスエルテに入って来てくれた。
彼女の3コ下の弟が先にうちでサッカーをしていて、そのお迎えやら何やらでよく幼稚園に遊びに来ていて
当時の今井コーチや斎藤コーチが練習後とかに彼女とたくさん遊んでくれたことが良かったのか、そのうち彼女も「サッカーやる」となり、うちでサッカーを始めてくれた。
彼女のお父さんもサッカーしてた人だったから、その影響もあったのかな。
彼女と同い年の代の子達が、今でもクラブの枕詞にしている「アドリブラー」という言葉を僕に思いつかせてくれた子達。その言葉は、彼らのプレーを見ていて自然に思いついた。
このクラブの色を決定づけた子達でもあり、僕にサッカーの楽しさ、コーチという仕事の楽しさをもう一度思い出させてくれた、特別な子達でもある。
あらゆるプレーがこちらの想定を超え、試合に行くたび、それまで見たこともないようなことを平気で繰り出してこちらを驚かせ、ヒリヒリするような試合でも、最後は自分達の力で必ず勝ってくる。でも疲れたらあっさり負ける(笑)とか
そんな楽しすぎる学年の代に、彼女が入ってきた。
彼女はとにかく明るい。よく笑い、よく喋り、気づいたらまた笑ってる。その場にいる人を和やかにさせ、穏やかにさせる天才だった。それは今でも変わらない。
彼女が入ってきてくれたことで、周りの男たちがさらに変わり始めた。雰囲気がさらに良くなり、そして唯一の女子ということで当然精神年齢は一番高いから、彼女の存在でチームが良い感じに締まるようにもなり、楽しさと爆発力と魅力が、日に日に増していった。
僕らコーチ陣はほぼ何もしてない。あの子達が勝手にサッカーを楽しみ、自分達のサッカーをさらに発展させ、巧さと魅力をどんどん増やしていく年月が始まった。
練習はほぼミニゲーム。
練習開始前、先に集まった子が1v1を始め、それが2v2になり、だんだんと人数が増えていって、練習開始時間の頃には、こちらから止めるのを躊躇するほど、真剣勝負のゲームになっている。そんな毎日。
そのままゲームをぶっ通しで続けてその日の練習が終わるなんてしょっちゅうだったし、そんな毎日の繰り返しの中で、あの子達は巧くなっていった。
大雨でも関係なくやってたからね。そしてそんな日常のゲームでも、負けたら泣くやつとかいっぱいいたし。
今思い出しても、サッカーに対して本当に純粋で、大好きで、その場にいること、ここに来ること自体が大好きな子達だった。今ではなかなか、そこまで純粋な子を見つけるのは難しいんだけど。
ともかく
そこから卒業まで、楽し過ぎる数年間はあっという間に過ぎ
こいつらが卒業していくタイミングで俺も一緒にコーチを辞めて違う仕事でも始めようかなって、真剣に悩んだ時期もあったくらい。
あの子達は、1月の神奈川少年サッカー選手権を勝ち抜いて中央大会に進出した。でも早貴はブロック予選の決勝戦までは主力として出場したものの、登録の関係で中央大会には出場できなかった。これは、僕の中で今でも心残り。
早貴が卒業した後のために、私的ながら女子だけの活動場所もつくった。
少ないながら他の女子選手も参加して、スエルテを卒業した後も、早貴はそこでサッカーをし続けてくれて。
でも人数が少ないから試合もさせてあげられず、当時僕が指導していた国際高校女子サッカー部の練習試合に混ぜたり、練習にも参加させたり。
でもやっぱり本気で試合もさせてあげたいし、今のままでは申し訳ないという思いもあって、彼女が通う中学のサッカー部顧問の先生に彼女がどんな子か、例え男子の中でも彼女なら充分にやれるということを話して、何とか入れてくれないかとお願いもしに行った。
結果的にサッカー部に入ることができて、とうとう僕の手から離れていった。
その後、彼女は当時神奈川随一の強豪校である湘南学院高校の女子サッカー部でサッカーを続け、1年生からずっと主力として活躍する彼女の動向を、僕はいつもこっそり応援してた。
時には堂々と応援にも行ったけど、強豪校の一員として忙しそうに動く彼女を試合会場で見かけても声をかけるのは遠慮したり、声をかけたとしても当然ゆっくり話すことなんてできずに、少しだけの会話や挨拶だけで、いつも終わってた。
彼女が高2の夏、全国インターハイが東京で開催され、湘南学院も関東予選を勝ち抜き出場。優勝候補の十文字を破り、準決勝まで進出した。
その準決勝は、今でも忘れられない。
そのインターハイ中、僕は京都の親友、越智さんが率いる京都精華にほぼ帯同していて、初戦ではベンチにも入れさせてもらったり。
そんなわけで、湘南学院と京都精華の対決となったその準決勝。
当然早貴もスタメンで出場していたけれど、しかし当時の僕は京都精華とずっと行動を共にしていたし知ってる選手も精華の方が多いから、僕は精華に肩入れしながら試合を観つつも、もちろん早貴だけは、特別な思いで応援していた。
自分の大切な教え子が、全国の準決勝という晴れ舞台で、自分の親友のチームと対戦してるという数奇な巡り合わせ。幸せなのはもちろんのこと、複雑な思いでもあったことは間違いなく。
その準決勝は、2-0で京都精華の完勝。
早貴も頑張っていたけれど、勝利には一歩届かなかった。
試合後、彼女にメッセージを送ったら
「(精華は)スエルテみたいなプレースタイルで、少し懐かしいなって思いました!精華には(決勝も)頑張ってほしいです」
って返してくれて。
全国の舞台で戦い敗れた相手に、自分が昔プレーしたクラブのことを重ね合わせ「懐かしい」って思えて、それを言葉にして伝えられる。これだけで、彼女の人間性と魅力は充分にわかってもらえますよね。
こんなに嬉しいメッセージは、今までもらったことがない。
スマホの画面を見て、泣きそうになったことを今でも覚えてる。
それから一年が経ち、高3初夏のインターハイ予選で敗れたのを最後に、彼女はサッカー部を引退した。
その夏、久しぶりにスエルテの練習に来てくれて。
引退の報告と、そして
「バイトの初任給だよ」って、僕にTシャツをプレゼントしに来てくれました。
こんな、僕の教え子です。
その彼女が、自分が初めてサッカーをしたクラブに、この秋から帰ってきてくれました。
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卒業生達は、このクラブの色を一番知っている人達でもある。
だからもし新しいコーチを探すとしたら、次は卒業生にお願いしたいと、これは前から思っていた。
恥を正直に言うと、ここ数年ずっと苦しかったんです。
クラブを大きくしていくこととクラブの色を持続させることのギャップに戸惑い、焦り、一人で悩みながら、前進したと思えばすぐに後退し、恥もかき、人様に迷惑をかけたこともあった。
毎週、練習に行くのは仕事だから。楽しみ!という気持ちで行くことはだんだん減り、義務感で行くことが多くなっていた。もちろん毎回ではないけれど、そんな日が多くなっていたことは確かだ。もちろん勝手に自分でそう追い込んでいただけなので、単に拙い人間だということなのだけれど。
この感覚、クラブを立ち上げた当時もこんな感じだったなと、ここ数年は感じ始めてた。
スエルテを一人で立ち上げたのが、1999年の春。
それまでは東京のスポーツクラブでサッカーコーチとして働いていて、正直、そこで自分の色をつけ、評価もされ、自信もつけ、満を持して自分でクラブを立ち上げた。今となっては恥ずかしいけれど、自信満々だった。
そしてもちろん、その天狗の鼻はあっさり折られる。
教えよう教えよう、強くしなきゃ、人数集めなきゃ、という思いばかりが先行し、当然、それは全て僕の一方通行。当時の子達には、きっと負担で迷惑だっただろう。
教えても教えてもなかなか目に見えて成果は出ず、試合に行っても負けばかり。
すっかり自信を失っていた頃、当時まだ学生だった今井コーチ、斎藤コーチがアルバイトとして来てくれた。
それまで全て自分一人だけでやっていた練習も彼らに任せることが多くなり、自分に少しゆとりができて、客観的に子ども達を見れる時間ができたことは、今考えれば、本当に本当に大きかった。
今井コーチと斎藤コーチは、練習前や練習の合間、練習後も、とにかく子ども達とたくさん遊んでくれたんです。楽しそうに、でも真剣に。
そこで一緒に遊ぶ子ども達も、とても楽しそうな顔をしていて。今までに見たことのない光景がそれからは当たり前になり、ご想像通り、そこから子ども達はぐんぐん上手くなり、次第に、結果も出るようになっていた。
「サッカーはこんなに楽しくやっていいんだ、子ども達の発想を信じて任せれば、こんなことも出来るんだ」って思えたのも、自分の心にゆとりが出来ていたからこそ。
そんな転換期のほぼ最初の子達が、冒頭に紹介した早貴たちの代の子達でもあったんです。
あの頃の雰囲気を、もう一度取り戻したい。ずっとそう思ってた。
早貴は昨年の夏合宿にもお手伝いで来てくれたり、今年も何回も練習に来てくれたり、昨年に引き続きまた夏合宿にも来てくれて。
そこで彼女と子ども達が接している光景を見ているうちに、だんだんと僕の中で
「早貴は、ひょっとしたら最高のコーチなんじゃないか」という思いが芽生えてきた。
子ども達とひたすら遊んでくれて、真剣に遊んでくれる。
なおかつクラブの色を肌で分かっている人物としてこれは彼女にお願いするのが一番だと、夏の合宿を一緒に過ごしながら、それは確信に変わってた。
だから素直に、彼女に力を借りようと思いました。
笑いながら真剣にプレーして、心からサッカーを楽しんでるその姿を、子ども達に身をもって見せてほしい。
それだけでいいからと、夏休みが終わった頃に、僕から彼女に正式にお願いしたわけです。
快諾してくれた彼女には、本当に感謝しかない。
もう既に、成果は出始めてます。
彼女はいつも笑っていて、楽しそうにサッカーをしてくれる。上でも書いたように昔からその場にいる人達を穏やかにさせ和やかにさせる天才だから、子ども達もそこに引き込まれていく。彼女がいると、子ども達が自然に寄っていく。
気づいたら、僕も自然と笑うことが多くなってた。以前よりも心が穏やかでいられる自分に初めて気づいた時は、自分でも驚いた。
それでも彼女は、僕には「もっと笑顔でやれ」っていつも厳しいんだけど。
低学年に混ざってくれる時は、子ども達を引き立て明るく盛り上げ、良いお姉さんになってくれる。いろんな子を主役にしてくれる。
高学年に混ざってくれる時は、早い判断と的確なプレーとたまに見せるアドリブも相変わらずで「おまえらサッカーはこうやんだよ分かったかオラ」とばかりに、僕が見てて恐れおののくほど、バッチバチに真剣勝負を買って出てくれてる。でも、やっぱり楽しさと笑顔だけは忘れてない。
彼女に乗せられ引き出され、周りの子達のプレーも速くなり、強度も増す。
良い場所にいれば良いパスを出してくれるから、動き出しやポジショニングが良くなってきた子もチラホラ現れ始めてる。
確実に、レベルアップが始まってる。
でも何よりも
彼女がいるグランドは、雰囲気が穏やかになってる。これが一番。
僕も、彼女ともう一度同じグランドでサッカーができる日常が帰ってきて、毎日が嬉しい。
こういう日がまた来るとは、思ってもみなかったから。
今年はクラブ創設20年目。その節目の年に、クラブの色をもう一度蘇らせる救世主になってくれる気がしてます。
たまに早貴が来られない日があると
子ども達から「早貴ちゃん来ないの?」って、必ず聞かれる。
また最近、あるお母さんがこっそり教えてくれたこと
「うちの子、練習から帰ってくると、嬉しそうに早貴コーチの話ばかりするんですよ」
これを聞いた時、尊敬している岩谷さんに以前直接言われたことを思い出して、びっくりしたんです。
「僕はあのコーチのことが好きや、って子どもが家で話してくれるような、そんなコーチにならなあかん」
「魅力あるコーチとはそういうことや」って。
彼女はすでにそれを実践してしまった。
最高のコーチとしてクラブに復帰してくれた彼女のことを、皆さん引き続きよろしくお願いします。
仕方ないから守備してあげた
10月21日(日)
2年生はこの日、午前と午後で試合のハシゴでした。
悲喜こもごも、色々あった1日をプレイバック。
まずは午前、朝イチで行われたレコスリーグから。
(東京横浜ドイツ学園)
ゴール裏はアウェー感たっぷり。1プレーごとに歓声や悲鳴が上がる。最高の雰囲気!
喜ばなきゃ0点だぜっ
やっぱり回りたい 笑
シュート外して天を仰ぐ。こういう感情表現も豊かになってきた。大事。
A・B に分かれ、2面同時進行でのゲーム。
Aチームは今季のレコスリーグ初戦で惜しくも1-2で敗れた相手に、この日は7-2で勝利。こうして成長の証を実感できるのは、リーグ戦の醍醐味でもありますね。某・韋駄天ドリブラーの全抜きゴールには、僕も思わず「堂安!」と叫びながら両手上げて喜んじゃった。
Bチームも、10-3で勝利。みんなとってもアグレッシブだった。イキイキ、という言葉がぴったり来てた感じ。
ということで両コートとも、とっても盛り上がって良い雰囲気。
うちのギャラリーも、ドイツ陣営に負けず劣らず、でもこちらは熱くというよりも楽しそうに、盛り上がっておりました。
AとかBとか関係なく、全員でお疲れハイタッチ 〜
ひとつのクラブ。自分の子供じゃなくても「うちの子」って言ってほしい。みたいな。
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レコスリーグを終え、午後の試合は15時。一旦帰宅してから来る子と、久保田と一緒にそのまま電車移動する子と分かれての行動。
電車移動組はドイツ学園裏の広大なナントカ公園でお弁当を食べ、遊びまくってからの電車移動。
当然、電車の中では …
全員顔が死んでた 笑
試合と遊びで疲れ切った選手達を連れ、ようやく午後の会場へ到着。
一旦帰宅したメンバー達も続々と到着し、午後の部、vs 港南台SCがkick off。
午前のレコスとは違い、広いピッチで、人数は7人制。最初はもっと広いピッチが用意されていておそらく8人制でやる予定でいたと思うんだけど、港南台SCさんがとても柔軟で「やっぱり広すぎっすよね」となり、ピッチサイズを狭めてくれてました。
有り難い…!こういう柔軟性のあるチーム、少年団ではなかなかお目にかかれないので新鮮でした。
いざ試合。午前の疲れもあるのだろうけど、約半分がとても緩い感じでのゲーム。動きの緩さというよりも、頭と心の緩さ。
自分達でポジションを決めるのはいいのだけれど、そこさえやればいい、というマインドでトップの位置から一切動かない子(午前では攻守に渡る大活躍だったのに)
そうかと思えば、デカい相手に我を忘れ、ただただ猪突猛進してあっさり奪われる、なおかつ奪い返しに行かない子や
相手の寄せ具合や場所に関わらず、ただただ自分の触りたいようにボールを触り奪われる子とか
そして面白いのが、現時点で2年生チームの中心になっているような子達が、こういうプレーを見せてしまっていたということ。ピッチサイズや人数や試合設定により、まだまだその全ての状況にアジャストして自分の良さを出せるところまではいっていないんだなと、そんな気づきをもらえたので逆に良かったかも。
そしてそんな子達を尻目に「なら自分がやってやりまっせ」というアグレッシブさとクレバーさを見せてくれる子が現れてくれたりするから、また面白い。この日も、試合中盤からそういう子がバンバン出てきた。緩いメンバー達を僕が次々と替え、ベンチ横で説教してるのを聞いていたのか、それをカバーすることをピッチ内でどんどんやってくれる。
あー、あいつあんなに責任感持ってやれるのか、あ、あいつこんなことも出来るんだと、得てしてこういう時に気づかされたりする。
さらに
↓↓
攻撃ばかりにうつつを抜かす男どもに愛想をつかし、最後方で相手カウンターの芽を摘んでくれていた8歳女性。
「仕方ないから、うちが守備してあげてた」
『みんな攻撃したいし、できれば守備なんかしたくないけど、でも勝ちたいからさ、仕方ないから俺が、私が守備してやるわ』
っていう、この「仕方ないからやってやるよマインド」を自分で実行できるのが、大人のフットボーラー。つまり彼女はすでにオトナフットボーラーの仲間入り。きっとこれからグングン上手くなると思うな。
彼女に限らず、結果的にまた一つ、全体のレベルが上がった一日になりました。
港南台SCさん、ありがとうございました!
試合後、港南台SCの松尾コーチから
「この間のブログを読んで、自分にはこんなことしか出来ませんが…」と、次回の卒業生サッカー広場(30日)のために、お菓子を大量にプレゼントしてくれました。
こんな優しさと気遣いに溢れたコーチに教わっている港南台SCの子達は、きっと幸せ者だ。
松尾さん、本当にありがとう!